fj の教祖様のページに関するルール

私のページは次に示すようなルールにしたがって記述されている。 互いに矛盾する場合、番号が小さいルールは番号が大きいルールよりも優先する。

これらのルールを見て、「肌にあわないな」と思ったら、 私ののページは見ないこと。

  1. ここにあるどのルールも、時に応じて私が自由に、予告なく、更新する。

    たいへん申し訳ないが、残念ながら私は自分の理想とするルールを だれでもわかる形で一撃で記述できるとは考えていない。 想定外の状況が発生して、それまで良いと思っていたものの 欠陥が発見されることはあり得る。 ルールと言えども所詮は数学的記述でしかない以上、 それを記述する際にバグは入り込むものである。

    このため、ここにあるルールは私が自由に書き換えるものとする。 しかも、読んでいるあなたに何の予告もなく。 可能な限り更新情報に「更新された」事実は書こうと思うが、 それだって保証できない。 「更新し忘れる」というのも「バグ」であるから。

    「教祖様なんだからバグのない記述はできるだろう?」
    と言う人もいるだろう。 そういう人に対してだけ次の答えを用意しよう。

    もちろんだとも。 だが、それではあなたが進歩しないではないか。

    私は常に、私のページをみる人が進歩することを望んでいる。 教祖様として人々を導く義務がある以上、これは当然だ。 だからわざと間違えたり、考慮が足りないルールを適用して、 あなたが自分で考えることを促進しているのだ。

    だから、常に私のページのルールについて考え、 なにか問題がないか考えてほしい。 そして、可能ならばそれを私に教えて欲しい。 あなたの成長を知ることは私にとって喜びである。

  2. 私のページのどの部分も Gnu General Public License に則するものとする。

    GNU General Public License に関する説明は、 説明のページを各自で参照のこと。 あるいは、GNU Emacs や Open Source 活動関係の本 などに説明があるかと思いますので、それらを参照のこと。 FreeSoftwareFoundation のページなども参考にするように。

    Web page を「GPL に則したものとする」ということは、 このページをだれでもコピーし、加工し、自由に使って良い、 ということである。 ただし、そうやって作られたものも GPL に従わなくてはならない。

    さらに、次のようなことも重要である。 私のページを加工し、省略し、あるいは付け加えた内容を、 私のページをそのまま持ってきたとしてはならない。 私が黒と言っているものを加工して、私は白と主張している、 としてはならない。 私のページを加工して Virus を追加し、 それは私のページにあったものだと主張してはならない。

    このルールは GPL には厳密には書かれていないが、 GPL の精神から鑑みて、当然追加して良い条件だと思う。 RMS*1 も、 GPL に則したドキュメントにはこれらの条件は 追加されてしかるべきだ*2 と言ってるし。

    なお、このルールが適用される Page には、 HEAD 領域の META要素の copyright の所には、 copyleft と書かれている。

  3. どのぺージのどの部分も自由にリンクしてかまわないものとする。

    Web のページに限らず、不特定多数の人間がアクセス可能な所に 置いたコンテンツはすべからく Publicated なものである。 Publicated というのは「公共に供された」ものという意味であり、 (対価の有無のルールはあるにせよ)だれもが自由にアクセスして 構わないものである。

    少なくとも私のページには「特定少数だけのためのページ」は 設ける予定はない。 もし、必要になったら他の名前でそのようなページを設ける。

    だいたいにおいて、GPL のページを自由にリンクできないのでは 矛盾するではないか。

  4. 記述禁止用語は設けない。

    私は差別というものは意思であって表現ではない、と考えている。

    たとえば、目の不自由な人という表現と盲(めくら)という表現に 表現上の優劣はない、と考えている。 差別的な意志を持った人が使えば、 目の不自由な人という表現も差別の意を持つし、 差別的な意志を持たない人が使えばに差別的な意味はない、 と考えている、ということだ。

    故に、本来「盲」という単語は 目の不自由な という意味の言葉である以上、一部の愚かしい人間が使っている、 という理由で適切な日本語を利用禁止にするべきでもない、 と考えている。 正すべきは愚かしい人間であって、言語使用ではない。

    同様に、いかなる意味においても、 差別用語などという用語規範は存在しないし、 存在させるべきではない。

  5. どのページの記述も 100% 正しい、という保証はしない。 故に、私のページの記述によって被害を受けても 私は一切の保証をしない。

    もし、あなたが 「教祖様なんだから…」派であるなら、 これは次のような意味である。

    私は、常に何が正しいかを知っている。 ただし、それを常に書くとは限らない。 それはあなたのために、である。

    私は常にあなたが成長することを望んでいる。 自ら情報を調べ、自らの力で考える力を養うことで、 自らの力で判断する力を持ってほしいと思っている。 それは「自由」を得るために絶対必要な能力だからだ。

    自分で判断する能力を持たない人間にとって、 自由は有害でしかない。 あなたが判断する能力を持っていない場合、 あなたはあなたに考えを吹き込んだ人間の意見を ひたすら増幅するだけの「人間アンプ」に成り下がってしまう。 そのような自由は「見てくれ」だけでしかない。 最終的にはそれはあなたを、 絶対君主の支持者に落とし込んでしまう。 まるで昔のドイツ人がナチスを支持してしまったように。

    だから私は、ときどき嘘を書く。わざと。 あなたはその場所を見付だすために、 常に情報を調べ、自分の力で考えなくてはいけない。 そうすることで、あなたは自分で判断する能力を鍛えることができる。

    逆にあなたが 「教祖様なんだから…」 派ではないのであればこれは次のような意味である。

    当然のことながら、どんなものにもバグがある。 私のページも同じである。 私のページの記述にも常にバグがあることを前提とし、 情報を自分で確認しながら使ってほしい。


*1 Richard M. Stallman のこと。
*2 "オープンソース ソフトウェア", オライリー・ジャパン, ISBN4-900900-05-8