脳の重さと IQ には相関がある話


 過去、多くの 人権擁護団体お抱え科学者*1 が称えてきた
「脳の重さ/大きさと、能力に相関はない」
という伝説はいまや、幻想と化しました。 脳の重さと大きさに相関があるように、 脳の重さと知能にも相関があることが判っています。

 一般に質量の重い頭脳は、より高い IQ も所持しています。 これは磁気共鳴映像法を利用できるようになって 初めて計測が可能になりました。

 従来は、 生者の IQ と死亡して収縮した後の脳との相関しか求められなかったため おせじにも精密ではなく、それゆえに

確たる事は言えない
に過ぎなかったことを、勝手に
「脳の大きさと能力に相関はない」
と断定調に書き換えていた 人権擁護団体お抱え科学者 がいたのに過ぎません。


 これは物理的に見て極めて当然のことです。

 たとえばある人が信号を光で、別の人は飛脚で送っている、 などというレベルの差があるならばともかく、 同一種の生物として基本的に同じ生化学反応に縛られている以上、 細胞の反応速度が個体によって2倍もの速度差を持つことすらあり得ません。 従って脳の機能差というのは、 細胞単体の性能差だけで発生することはあり得ません。 むしろ、神経細胞の個数と、 神経細胞間の接続の自由度こそがその性能差を左右します。

 まず、細胞の数が億を越える世界では、 相互接続のための触手を伸ばすにもそれ相応の容積が必要になります。 この容積の自由度が高いほど、 脳の演算機能はより最適な/短時間で同一の結論を得られる接続を 選択することができるようになります。 従って、全く同じ神経細胞を、同じ数だけ持っている場合は、 脳の体積が若干大きめに用意されている方が「学習」という面で有利です。

 細胞の数について考えるとき、普通は
「細胞の数が1億だろうが、1億とんで1個だろうが、大差はないだろう」
と思いがちですが、これはとんでもない間違いです。 細胞の数を N としたとき、その接続バリエーションは3次元の場合は一般に N3 に比例します。つまり一億なのか、一億+1なのかでは、
(3 * 一億 * 一億 + 3 * 一億 + 1)
に比例するだけの差が発生しているのです。 これだけの違いがあると、 ずいぶんといろいろな処理がより高速に処理する方法が利用できることになります。

 これらの事実は、 脳の演算処理能力が重さに比例していなくてはおかしいことを明確に指摘しており、 いままでこれらが否定されていた方がむしろ異常な状態だったのだ、 と言えます。


 これらの事実は、「脳の演算能力」に関する問題です。 ペンティウムマシン 100MHz マシンでも Windos95 を使っていたのでは 66MHz のi486 マシンに FreeBSD を載せたものに演算能力で負けてしまうように、 あるいはペンティウムマシンに一太郎を利用してドキュメントを書くぐらいなら、 i486 33MHz マシンの上で LaTeX を使った方が ずっと早くドキュメントを書けるように、 「演算能力」というものはいくらでも浪費できます。

 優秀な脳に、優秀なソフトウェアを載せれば、 それは素晴らしい結果が得られるでしょうが、 それは脳が素晴らしいからではなくソフトウェアが素晴らしいからです。 脳は魂の「座」に過ぎないのも、これまた事実なのです。

 しかし、同時に優れたソフトウェアは すぐれたハードウェアの上にしか実装できない、 という事実もあります。 優れたプログラムもメモリ不足では動きません。 この点は軽視できることではありません。

 また、高速な脳は、運動に対する対応速度となっても現れます。 これは「文武両道」というのが人間の基本本質であることを示しています。


 生きた脳の収縮は「Local Maximum」に到達したときに発生すると 解釈するのが常識的です。 つまり、

などを行った場合に、 不必要な細胞や接続、 それに必要な容積を削って生存に必要なエネルギーを最小化しようとするのです。

 これらはつまり

幼少期における英才教育と言われるものは、 一般に脳に著しい悪影響を与える
ということを意味します。 「英才教育をうけると阿呆になる」という意味ではなく、 「英才教育をうけなければ最終的にもっと高い能力を得られたのに」 ということです。

 脳にとって良い環境というのは

あらゆる事が自分の目の前で発生している
という一言に集約させることができます。 勝手にものごとが行われているのは構わないのですが、 その全てが「見える」こと、 それによって常に興味が喚起されていることが脳にとって良いことなのです。

 『親がほとんどいない家』
というのは、 今の常識と異なり、 子供にとっては著しく劣悪な環境なのだ、ということも言えると思います。


*1 別名「予算のためなら平気でうそを吐く連中」